美瑛町
北海道上川郡美瑛町
1894年(明治27年)9月、兵庫県出身の小林直三郎氏が旭地区に入植。幾多の困難を乗り越えながら、未開の原野を拓いたのが美瑛町の始まりだ。原生林を伐り倒すたびに見上げる空が広がり、先人たちは開墾した大地に希望の種をまいた。
美瑛町は「日本で最も美しい村」連合発祥の地。北海道のほぼ中央、旭川市と富良野市の近隣に位置する人口約1万人の町だ。東京23区に匹敵する面積で、約70%が山林、15%が畑となっている。内陸で寒暖差が激しく、冬はマイナス20度を下回る日も少なくない。
「丘のまちびえい」という名前の通り、美瑛町の大部分は丘陵地。起伏に富む幾重もの丘の向こうには、雄大な十勝岳連峰がそびえたつ。過去に噴火を繰り返してきた十勝岳は、この地で生きる人々に厳しい試練と豊かな恵みをもたらしてきた。なかでも1926年(大正15年)5月24日の大噴火では、山津波が融雪泥流となって美瑛町や上富良野町に大きな被害をもたらし、144名の命を奪った。三浦綾子氏の小説「泥流地帯」には、この噴火による周辺の村の被害のすさまじさが克明に描かれている。
美瑛の人々にとって、丘は厄介な存在だった。傾斜地に広がる畑は農作業がしづらく、大雨が降れば土が流出してしまう。連作障害を避けて、収穫量を増やすために農家は知恵を絞り、輪作が根づいた。組み合わせる作物と畑の数だけ、パッチワークの可能性は無限にある。
美瑛の農家のトラクター技術は素晴らしい。彼らは畑を耕す時に傾きながら運転する。まさに命がけだ。土が流れないように、丘の斜面を横切りながら斜め一直線の方向に畝を作っていく。美瑛の農家では、旬のとうきびを食べる時はお湯を沸かしてから畑にとりに行くそうだ。アスパラガスも水がしたたる朝採りのものに限るという。食材の宝庫ならではの贅沢なエピソードだ。
「日本にもこんなに美しい風景があったのか」。写真家の故前田真三氏が撮影した写真集をきっかけに、美瑛独特の美しい丘の風景は有名になった。昭和から平成に移行する頃から観光客が急増。地元の人々はあたり前と思っていた農業景観の価値をあらためて認識し、美瑛町は農業と観光の町に変化を遂げた。ここ数年、「青い池」の人気化や海外からの観光客が増加し、平成25年度は約149万人の観光客が訪れた。美瑛の場合、農家の生活の営みから生まれる農業景観が観光資源であるため、農業と観光との摩擦や課題もある。地元の農家と外から来た人々との間でいかに良い関係性を築き、相互理解を深められるかが今後の鍵となるだろう。
美瑛町が誕生して今年で115年。町の歴史はまだこれからつくられてゆく。未知数のチャレンジができる大地がここにはある。
2015年1月取材
執筆:上原美智子