三島町
福島県大沼郡三島町
福島県の西南部、古くは「南山」と呼ばれた奥会津の小さな町、三島。ここが「県内一の人口流出地」と言われ、地域消滅を危惧されたのは1970年のことだ。しかし、そんな予想はどこ吹く風、ここには今でも多くの観光客が足を運び、移住者たちが新たな暮らしを紡いでいる。有名な観光地も商業施設もない、だからこそ町民たちは足元を見つめ、ここにある価値を耕してきた。そのたゆまざる積み重ねが地域を支える大きな力となることを、この町は静かに示している。
磐越自動車道を郡山から西へ。市街地を抜けたら、のどかな田園地帯から会津磐梯山を望む猪苗代の盆地、そして山深き奥会津へと、トンネルを一つくぐるごとに車窓からの景色が移り変わっていく。いつまでも見飽きることのない、自然と地形とが織りなす多様な美しさを味わうことは、この旅が与えてくれる最初の喜びだ。三島町を訪ねるとき、私たちは改めてこの国の広さを、そして会津の奥深さを知ることになる。
福島、といっても新潟との県境はすぐそこ。大沼郡三島町は周囲を標高1000メートルの山々に囲まれた豪雪地帯にある。人口は約1400人という小さな町ながら、日本有数の桐の名産地、そして暮らしのなかで育まれた手工芸の文化を守り継ぐ「生活工芸運動」のメッカとしても名高い。そして観光では、自然との調和が美しい秘境路線「只見線」の撮影スポットに海外からも多くの人々が詰め掛けていて……と、まさに「小さくてもキラリと光る美しい村」だ。
そんな現状は、しかし偶然にもたらされたものではない。町民たちが外部からのまなざしにも学びながら、この町の誇るべき文化・風習を見出し守り継いできた、不断の歩みの末にあるのだ。
大きなターニングポイントとなったのは1970年、まだ4000人以上の住民が暮らしていた時代に、町が「県内の人口減少率ワースト1」という現実を突きつけられたこと。原因はダム工事等の終了に伴う作業員たちの転居や、雇用の減少による出稼ぎの増加によるものだったが、「ワースト1」の衝撃は町民たちを不安に陥れるのに十分すぎるものだった。
この町をなくしたくない、未来へとつなぎたい。そんな切実な想いを込め1974年から始まったのが、「ふるさと運動」。企業誘致や大規模開発ではなく、宮﨑清氏、芳賀日出男氏、赤坂憲雄氏ほか日本に冠たる学識経験者らと交流を重ね、足元にある価値を見つめ直したこの運動により、「農家民泊」や「ふるさと小包」など、今や常識のようになっている地域振興の多くのモデルケースがここから誕生したのだった。
「日本で最も美しい村」連合への加盟も、「この流れのなかで選択されたものだった」と矢澤源成町長。「住民自身がこの町の歴史を知り、それを踏まえて魅力を認識することが大切」と話すとおり、三島では多くの地方で耳にする「ここにはなにもない」という(照れ隠しも含む)声はまったく聞こえてこない。自然を愛し、文化を認め、風習を尊ぶ。加えて、外からの風も積極的に迎え入れて、時代に寄り添うよう柔軟に変化を遂げてきた様子も、今回の紙面ではきっと垣間見えるだろう。
2023年1月取材
執筆:玉木美企子 撮影:田村寛維