小値賀町
平田賢明

小値賀町歴史民俗資料館 学芸員

考古学の仕事のため小値賀へ移住して8年。世界遺産登録推進事業にかかわるなど、町の文化発展に貢献してきた。島の歴史を地道に調査研究してきた世界遺産登録の「影の功労者」でもある。

潜伏キリシタンの歴史を発掘、世界遺産へ

平田さんにお話を伺った古民家は、「商家尼忠東店(あまちゅうとうてん)」。小値賀を代表する商家、尼崎家が「総合デパート」として栄えた本店跡を改装した建物で、現在、町の観光拠点として活用されている。
「小値賀は古くは遣唐使の時代、大陸との間を行き来する船舶の往来があった歴史ある町で、港からは800年前の中国の青磁の碗も出土しています。日宋貿易の時代、船が小値賀に寄港して、小値賀からは海産物を輸出するなど、大変豊かな島でした」。島の歴史博士こと平田さんの口からは、次々と小値賀にまつわる歴史が飛び出してくる。
もともと小値賀島は2つに分かれた島だった。それが、鎌倉時代、埋め立てられて現在の形になった。ここ、小値賀の笛吹地区は商家と漁村の集落が隣あわせているのも特徴。町内を案内されて歩くと、神社建築などに見られる、梁や柱を支える「持ち送り」の技法を取り入れた大きな商家が立ち並び、そのすぐそばに、こじんまりとした漁師の家が密集する、全国的にも珍しい集落形成だ。
小値賀が栄えた理由のひとつに、なだらかな地形が大きく関係している。「起伏のある島が多い五島列島の中で、小値賀は平坦な地形であることが農耕や漁業に適し、島の豊かさに結びつきました」。小値賀は五島列島のわずか4%にしか満たない面積だが、全域の30%もの遺跡が集中している場所でもある。
平田さんは長崎市生まれ。20代は長崎市で考古学の遺跡調査の仕事にかかわった。県の嘱託を経て、8年前、資料館の学芸員として小値賀に着任。世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」登録に向けて島の調査研究などに8年の月日を費やしてきた。
潜伏キリシタンを語るうえで欠かせないのが隣の野崎島。かつて多くの潜伏キリシタンが移り住んだ神道の聖地だ。この地の北端にある「沖ノ神島(おきのこうじま)神社」は、小値賀本島の「地ノ神島(ちのこうじま)神社」と向かい合う形で704年に分けて祀られた。「潜伏キリシタンは野崎島の中央に野首集落、南部に舟森集落を作り、表向きは神社の氏子を装うことで、彼らは密かに自分たちの信仰を守り抜きました」
平田さんの調査をまとめた報告書では、野首、舟森のキリシタンが、カトリックの洗礼を受けた重要な証明となる御水帳も公式に発表できることになった。
「遺跡」を掘り起こす仕事から、島の「歴史」を発掘する仕事へ。「小値賀の調査研究にかかわれることは、学芸員冥利に尽きます」

2018年5月取材
執筆:高橋秀子 撮影:田村寛維