椎葉村

宮崎県東臼杵郡椎葉村

PHOTO:©田村寛維

宮崎県の最西北端、九州山地のちょうど真ん中に位置する椎葉村。東京都の4分の1に匹敵するという広大な面積の96%が山林で、人々は急峻な斜面にわずかな平地を切り開き、暮らしの中で独自の知恵や技を築いてきた。神々が人々の心に息づくこの村には、古くから伝わる慣習や伝統文化が今も色濃く残っている。

熊本空港から1時間ほど車を走らせ、総延長2777メートルの国見トンネルをようやく抜け切ると、椎葉村に入ったことを知らせるかのように切り立った山々の風景がぐっと迫力を増した。四方を1000m級の山々に囲まれた椎葉村は広大な面積のほとんどが山林で、人々が生活できる平地はごくわずか。厳しい環境の中、先人たちは自然に敬意を払い、山の神様に感謝しながら暮らしを営んできた。
この山深い村には独自の文化が育まれ、古くから伝わる慣習や民俗芸能、精神風土が色濃く残っている。それが、今も人々の暮らしに息づいているところが特徴的だ。平家の落人伝説にはじまり、26の地区で奉納されている神楽、ひえつき節をはじめとする多くの民謡、そして家族や地域の枠を越えて協力し合う「かてーり」の精神。お互い様の心を持ち、人のつながりを大事にする椎葉村の人々にとっては、かてーりの精神こそが村の伝統や風土を守り抜く礎になっているのだろう。
村の面積が広いうえに山々が近く、村内でも気軽に行き来することが難しいせいか、地区ごとに方言があったり、「椎葉」という名字が村民の3割を占め、村の人はみな下の名前で呼び合っていたり。椎葉村で見聞きすることすべてが、ここにしかない、ほかのどこにも似ていないことの連続なのだ。
さらには、日本で唯一、縄文時代から続いてきた伝統農法である「焼畑」を伝承し続けている村でもある。焼畑は肥料や農薬を一切使用しない自然の摂理に寄り添った農法で、自然を活かし、ともに生きることを大切に考えた日本の伝統的な暮らしの営みだ。かつての日本の原風景が残ることから、2014年、「日本で最も美しい村」連合への加盟が認められ、2015年には高千穂郷・椎葉山地域が「世界農業遺産」に認定された。これによって村の人々は椎葉村の魅力を再認識し、村で生きることへのたしかな自信と誇りが生まれているという。
今や時代は大きく変わってきた。IT技術が進歩し、都会と地方の情報格差はなくなりつつある。椎葉村にも、山の暮らしを楽しみながら新しい仕事を始めたり、村の伝統的な営みを残そうと活動したりする若い移住者が出てきた。2020年7月には、図書館や交流ラウンジ、ものづくりラボ、キッズスペースなど多様な機能を備えた交流拠点施設が村の中心部にオープンする。日本の中の秘境と呼ばれる村に、新しい風が吹き始めている。
世の中が急速に変化しても、この村には人々が大事に守り抜いてきた唯一のものがたくさんある。それは普遍的で揺るぎがない。椎葉の猟師たちの間で伝えられたという「のらさん福は願い申さん」という言葉は、「必要以上の獲物は望まない」ことを意味するそうだ。自然とともに生きる中で、本当に大切にすべきことを知り抜いている椎葉の人々。時代が椎葉村にようやく追いついた、そんな気がしてならない。

2019年10月取材
執筆:中里篤美 撮影:田村寛維