喜界町
鹿児島県大島郡喜界町
奄美大島の上空にさしかかると、海の青さが違う。乗客の誰もが窓辺に張りつき、眼下に広がる景色を見つめる。飛行機の進行方向の左手には、紺碧の海に浮かぶ美しい喜界島が見える。琉球王朝と薩摩藩、アメリカという3つの支配に揺れた歴史のなかで、島の人々はたくましく生きてきた。喜界島には素朴で豊かな島時間が流れる。情に厚く個性あふれる人がたくさんいる。はるばる来て良かった。ありのままの喜界島が一番いい。
鹿児島県の喜界町は、奄美大島の北東にある人口約7500人の島だ。「日本で最も美しい村」連合には、2009年(平成21年)10月に加盟した。
喜界島はサンゴ礁の島で、現在も年間に約1・8㎜のスピードで隆起している。島の周囲は48・6km。1時間あれば車で島を一周できる広さだ。ハイビスカスやガジュマルなどの亜熱帯性植物と、広いサトウキビ畑、昔ながらのサンゴの石垣の集落が素朴な島の風景を彩る。喜界島は小さな島だが、集落によって方言や風習もさまざまだ。例えば猫のことは島の南部では「マヤ」、北部では「グル」という。
喜界島の城久(ぐすく)集落には遺跡群があり、大規模な発掘調査が続いている。九州本土と沖縄の中継点に位置する喜界島は、琉球王朝と薩摩藩、アメリカという3つの支配のはざまで翻弄された歴史があり、様々な伝説や史跡が残る。1609年(慶長14年)に薩摩藩が琉球を侵攻。薩摩藩の熾烈なサトウキビ政策によって奄美地方の人々は苦難の道を歩んだ。太平洋戦争中、喜界島は特攻隊の前線基地となり、激しい空襲にも見舞われたという。終戦後はアメリカの信託統治下に入り、1953年(昭和28年)にようやく日本に復帰した。
「農業立島」を掲げる喜界島の基幹産業は、サトウキビ栽培だ。島の面積の約35%が耕地で、在来種のゴマや柑橘類、メロン、トマトなども栽培されている。ミネラルが豊富な土壌に恵まれ、喜界島の黒糖は江戸時代から「道の島一番」と高い評価を得ていた。最近は喜界島をオーガニックの島にしようという動きも芽生えている。
本土復帰後、喜界島では農業構造改善事業が進められた。かつては米も栽培していたが水田は少なくなり、区画整理された広大なサトウキビ畑に島の風景が変わったという。現在は巨大な地下ダムが整備され、地下水を利用して畑にスプリンクラーで一斉に散水することも可能になった。
喜界島の人たちはみんな親切で、人懐こい笑顔がとても印象的だ。島の子供たちはいつも元気な声で気持ちの良い挨拶を交わしてくれる。小学校の運動会に飛び入り参加して、地元のみんなで囲んだお弁当やソテツの実での玉入れに感激し、喜界島のリピーターになる人もいるという。集落の伝統行事や海辺でのバーベキューでは、三味線や島唄の響きにあわせて老若男女が笑顔で踊り出す。素朴でゆるやかな雰囲気がいい。ここにはありのままの豊かな島時間が流れている。
2015年4月取材 執筆:上原美智子