大鹿村

長野県下伊那郡大鹿村

南アルプスの麓にあり、四方八方を急峻な山々が取り囲む。村の総面積の97%が山林で、自然という存在の大きさが際立つ村だ。わずかな平地の中で、自然と隣り合わせに生きてきた村人たちの営みは、「この村で生きていく」という、まっすぐな気迫に満ちている。大鹿村の美しさは、この土地に深く根付いた「村人たちの心」にあった。

細く曲がりくねった山あいの道を、小渋川の流れに沿って奥へ奥へと進む。迫りくる3000メートル級の山々に目を奪われていると、家がぽつぽつと現れ、村人たちの生活の気配が見えてきた。
大鹿村は、日本列島を縦断する大断層「中央構造線」が村の中心を貫き、村全体が地質の博物館と言われる特殊な地形を持つ。山奥という立地から、独特の文化が育まれ、それらは大きく形を変えずに今なお息づいている。
古くから大鹿村の人たちは、先祖代々にわたり伝えられてきたものを大切に守り抜いてきた。自然景観はもちろん、300年の伝統を持つ「大鹿歌舞伎」や鎌倉時代に建立され、時の権力者が譲渡を求めるも村人の反対によってこの地に残された「福徳寺」もそう。受け継がれたものを粛々と守り、後世につなげるという頑固なまでに一貫した気風。それこそが今の大鹿村をつくっている。
歴史を紐解けば、この村を訪れた人の多くは、自然や山々の風景だけでなく、村人の人情豊かな気質に心を奪われたそうだ。日本アルプスを世界に紹介し、日本に登山を広めた英国人宣教師のウォルター・ウェストンもその一人。明治25年、赤石岳登頂のために来村したウェストンは、素朴で温かな村人のもてなしに深く感銘を受け、そのことを著書の中で称賛を持って記している。
大切なものを守り、おもてなしの心で人々に接する。損得感情のない村人の精神性は、美しい大鹿村の根底を成すと言えよう。それを象徴するかのように、村内の街道沿いは多くの花々で彩られ、手間ひまをいとわず、訪れる人を楽しませようという村人の思いにあふれている。
人が生きる上で大切なものは何だろう。大鹿村の人たちにとっては、「守りたいものがあること」ではないか。自らも自然の一部であることをわきまえた楚々とした営み。経済を優先する社会に屈することなく、「この村で生きる」という強い意志。時代が変わっても、大鹿村がずっとあり続けられるように――そんな共通の思いが、それぞれの足元を美しく形づくっている。

2014年8月取材南アルプスの麓にあり、四方八方を急峻な山々が取り囲む。村の総面積の97%が山林で、自然という存在の大きさが際立つ村だ。わずかな平地の中で、自然と隣り合わせに生きてきた村人たちの営みは、「この村で生きていく」という、まっすぐな気迫に満ちている。大鹿村の美しさは、この土地に深く根付いた「村人たちの心」にあった。

細く曲がりくねった山あいの道を、小渋川の流れに沿って奥へ奥へと進む。迫りくる3000メートル級の山々に目を奪われていると、家がぽつぽつと現れ、村人たちの生活の気配が見えてきた。
大鹿村は、日本列島を縦断する大断層「中央構造線」が村の中心を貫き、村全体が地質の博物館と言われる特殊な地形を持つ。山奥という立地から、独特の文化が育まれ、それらは大きく形を変えずに今なお息づいている。
古くから大鹿村の人たちは、先祖代々にわたり伝えられてきたものを大切に守り抜いてきた。自然景観はもちろん、300年の伝統を持つ「大鹿歌舞伎」や鎌倉時代に建立され、時の権力者が譲渡を求めるも村人の反対によってこの地に残された「福徳寺」もそう。受け継がれたものを粛々と守り、後世につなげるという頑固なまでに一貫した気風。それこそが今の大鹿村をつくっている。
歴史を紐解けば、この村を訪れた人の多くは、自然や山々の風景だけでなく、村人の人情豊かな気質に心を奪われたそうだ。日本アルプスを世界に紹介し、日本に登山を広めた英国人宣教師のウォルター・ウェストンもその一人。明治25年、赤石岳登頂のために来村したウェストンは、素朴で温かな村人のもてなしに深く感銘を受け、そのことを著書の中で称賛を持って記している。
大切なものを守り、おもてなしの心で人々に接する。損得感情のない村人の精神性は、美しい大鹿村の根底を成すと言えよう。それを象徴するかのように、村内の街道沿いは多くの花々で彩られ、手間ひまをいとわず、訪れる人を楽しませようという村人の思いにあふれている。
人が生きる上で大切なものは何だろう。大鹿村の人たちにとっては、「守りたいものがあること」ではないか。自らも自然の一部であることをわきまえた楚々とした営み。経済を優先する社会に屈することなく、「この村で生きる」という強い意志。時代が変わっても、大鹿村がずっとあり続けられるように――そんな共通の思いが、それぞれの足元を美しく形づくっている。

2014年8月取材
執筆:中里篤美 撮影:佐々木健太