高森町
志賀行徳

南阿蘇鉄道株式会社

風光明媚な景観の中を走る南阿蘇鉄道。昨年4月の熊本地震の影響で、一時は全線運休になったものの、3か月後の7月、高森駅―中松駅間の一部が運転を再開した。だが、中松駅―立野駅間については、土砂の流入や、トンネル、鉄橋に受けた被害から、まだ運転再開にはいたっていない。町の悲願でもある全線復旧に向け、高森線を守る鉄道マンが志賀さんだ。

全線復旧を目指し、高森線を守る「線路のドクター」

今から30年ほど前、赤字路線だった国鉄・高森線は廃止対象線になったことから、国から切り離される危機にあったのを、地域住民たちの熱意で第三セクター「南阿蘇鉄道株式会社(以下「南鉄」という)」として生まれ変わった。雄大な阿蘇を眺めながら走る高森線は、立野―高森間、17.7キロ。トロッコ列車「ゆうすげ号」や、日本一長い駅名「南みなみあそ阿蘇水みずの生う まれる里さと白はくすい水高こうげん原駅えき※」などの駅を有する。※読み仮名の長さで日本一長い駅名
志賀さんが国鉄に入ったのは昭和40年。蒸気機関車に石炭をくべたり、水を入れるなどの燃料を補充する機関工として、汗水流し惜しみなく働いた。その半年後、列車の電化に伴って人員は整理され、志賀さんは保線業務に携わるようになった。保線とは文字通り、線路の状態を確認し、不具合を見つけたら補修するなどして安全な運行を保つ「線路のドクター」のような存在だ。
一口に線路と言っても、レールだけでなく、その下に敷いているまくら木なども大事な点検ポイント。「線路の上を歩いたり、列車に乗ったり、巡回しながら悪いところを見つけます。時にさわったり、たたいたりして。悪いところは長年の勘で分かりますね。悪いところが見つかったら自分で直せるところは直して、無理だったら専門業者さんを呼んで補修してもらいます」
ハンマーなどの工具を片手に、ポケットには修理箇所などをメモするための手帳をしのばせ、時に高さ60m以上の鉄橋を歩くこともある。突風が吹けばと思うと危険を伴う仕事だ。「だけど、機関工のほうが大変だったかな。保線に携わるようになって気づいたことは、まず空気が綺麗なこと。高い鉄橋の上を歩くのも怖くはないよ。まぁ、今だからそう言えるのかもしれないけれどね」と笑う。
志賀さんが南鉄に出向して来たのは今から19年ほど前。経営のスリム化による少人数体制のため、国との予算がらみの折衝から、まくら木の発注、線路脇に除草剤をまくこともする。一人何役もこなすマルチプレーヤーであり、この道、52年の大ベテランだ。「大きな組織なら、それこそ電気、保線など業務が細分化されているけれど、ここでは一人で何から何までやらなくちゃいけない。その分、鉄道の仕事をしているという充実感は大きい。すべてを任されているやりがいもあります」
夏になればレールは熱で伸び、冬になれば寒さで縮む。怖いのは、大雨、台風、雷などの自然災害だ。昨年の4月、熊本を襲った大地震。発生から3か月して、高森駅―中松駅間の一部が運転を再開した。現在は、志賀さんら南鉄の職員を含め、地域住民も一体となって全線復旧に向けて志気が高まっている。「今は被害状況を把握するための調査が最終段階を迎え、どこをどのように修繕する か、費用はいくらかかるか、予算を作って修繕を進めていくための復興計画が大詰めのところです」と志賀さん。
震災が起こらなければ、後継者を探すべく求人を出す予定だったが、今回の一大事でそれどころではなくなり、志賀さんの技術がますます求められる結果となった。「私の仕事は、長年の経験と勘が要るもの。すぐに出来る仕事でもありません。思いがけない事情により、もう少し長く働くことになってしまったんです」
南鉄は、地域住民の公共の「足」としてだけでなく、何より観光客にとってなくてはならない手段。震災が起きる前はインバウンドの効果で、トロッコ列車に乗ろうと駐車場には大型の観光バスや乗用車がいっぱいに並び、混乱が起きるほどの人気だった。かつてのように全線が開通すれば「観光客は確実に戻ってくる。それは確信しているんです」と志賀さん。高森と言えば「トロッコ列車」と言われるほどその人気はしっかりと根付いている。「高森駅から線路を歩くと、右に阿蘇山、鉄橋の下には綺麗な水が流れて、春には菜の花畑が一面に広がります。ここはよかですもんね。根子岳の眺めも最高です」。目を細めるように話す志賀さんの口ぶりからは、高森への並々ならぬ愛情が伝わってくる。
ふたをあければ苦労話にいとまはないが「そういう苦労話はしたことがないかな。それもこれも、この仕事が好きだからこそ。だけどたまに冗談で『技術屋の仕事は誰にでもできる仕事じゃないけん。自分は希少な人間ぞ』って周囲には笑って言ってるんですよ」
震災から3か月間。鉄道が完全に運休してしまった時間。それは志賀さんにとって人生でも最も長く感じた3か月だった。「あの3か月は本当に辛かった。何より好きな仕事ですたい。全線復旧は何が何でも必ず成し遂げるけん」。一点の不安も曇りも感じさせない瞳から、ひたむきな信念が伝わってきた。

2017年1月取材
執筆:高橋秀子 撮影:田村寛維