飯豊町
後藤幸平
飯豊町長
飯豊町が「日本で最も美しい村」連合に加盟したのが今から8年前。飯豊町を取りまとめる町の長として、日々、町の発展のために全力を注ぐ。後藤町長の感じる「ふるさと・飯豊の美しいシーン」「今後の飯豊町の姿」について話を聞いた。
「美しさ」は厳しい自然との共存にこそ宿る
私にとって「美しい原風景」と言えば、雪がシンシンと降り積もるなか、茅葺の屋根に雪がぽっかりと積もって、電球の灯りが窓からもれる ーそんな子どもの頃の記憶かな。厳しい冬を越して、雪が溶ければ草木が芽吹き、土のむんむんとするようなにおいがしてね。当時の遊びといったら、弁当箱にご飯と味噌を詰めて川べりへ出かけていって、ひろこ(ネギ科の一種)や自生のノビルなんかを土から掘るの。それを川の水で洗ったそばから、弁当箱の味噌をつけてご飯をかけこむ。それが楽しかったなぁ。当時は今みたいなお花見弁当なんてなかった時代だからね。
今思い出しても格別な美味しさでね。それが日常の遊びだったかな。そういう土のにおいは今でも覚えている。
春はそんな土遊びをして、夏は川で泳いで、秋は木の枝をブーメランに見立てて、くるみなど木の実を狙って落とす。遊びに夢中になるあまり、真っ暗になるまで帰るのも忘れて、心配した父母が山道で帰りを待ちわびていたり。もちろん、その後は叱られたけれど。
子どもの頃から好奇心旺盛な探検家タイプだった。そんな気質は大人になった今も、変わらない部分もあるかな。自分の中で「安全パイを切る」という発想がそもそもないので、たとえリスクを冒してもやらなければいけないことはやるし、行かなくてはいけないところには行く。だからと言ってそれが全部、成功する訳ではないのだけれど。
飯豊町を語るうえで欠かせないのが「水との闘い」。米沢藩は立派な藩だったけれど、人々の暮らしは貧しく、特に、水を獲得するために必死に戦ってきた歴史がある。今から150年前、「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も」の名言で有名な上杉鷹山公は、飯豊山を和算の技術をもって貫通させ、新潟に流れる水を山形側に引き込む灌漑工事を行った。それは、20年もの歳月をかけたまさに「世紀の難工事」だった。
ここ飯豊町の「美しい」景色は、豪雪だったり、いつもリスクとの隣り合わせで生まれてきた。厳しい自然の中で耐え、生き抜くからこそ、それを見た第三者がそこに「美しさ」を感じ取るのだと思う。どうしても、人は「安易なもの」や「簡単に手に入りそうなもの」に飛びつきがちだけど、本来は、簡単には解決できそうにない課題にこそ、人は集まらなくてはならないし、ハングリーさを持った課題にこそ、人々の興味のベクトルは向かなくてはならない。それこそが社会の原点じゃないかな。
飯豊町が掲げるこれからの経済政策の一つに「地域内自給」といって、飯豊町内で生産された農作物、電気などエネルギーも含めた地域資源は、できるだけ地域内で消費していこうという循環型社会の構築がある。町では、30年計画でこの「地産地消」を実現させていく予定だが、何よりも、町民の幸せが行政としての最終的な課題。厳しい環境もプラスに変え、今後もますます町の発展のために尽力していきたい。
2016年4月取材
執筆:高橋秀子 撮影:田村寛維