塚原
熊谷美保子
コテージ&カフェ「恵里菜」オーナー
塚原の地に開拓者として入植した父の土地を受け継ぎ、10年前、一面の原野を切り拓いて宿をオープン。「子どもの頃は離れたかった場所」が今では、「この先も守り続けたい特別な場所」になっている。
「この土地を、この景観を守ってゆく」という覚悟
大阪で2年、飲食の仕事に携わった後、10年前にこの地に戻って宿泊業をオープン。予定では、3人の子育てが一段落したら海外へ飛び出して、心置きなく第二の人生を送るつもりだった。「地元に戻るつもりは、まったくありませんでした」。
事情が変わったのは、父親が残した土地を分け与えられたことから。福岡生まれで、第二次大戦中、予科練の特攻隊を経て、戦争を生き抜いた熊谷さんの父は、終戦後、17歳で塚原に開拓者として入植。鍬一本で、作物ができるまで10年の歳月を要したという。一方、母は樺太からの引き上げ。そんな両親のもとに生まれ、子どもの頃は「開拓もん扱いされるのが嫌だった」という。一刻も早く塚原を出たくて仕方なかった。それが、父から譲り受けたこの地に出会って考えが変わった。
「この高台からのロケーションは抜群で、ここからの景色を見た瞬間、この土地を残さなくちゃいけないと決心したんです」
父親譲りの開拓者魂に火が付いた瞬間だった。とは言っても当時は見渡す限りの原野で、熊谷さんいわく「海外以上の海外」。いちからユンボの使い方を覚え、土地の整備も自力で始めた。ゲリラ豪雨が降る度に道が濁流でふさがれ車が通れなくなると、ストックしていた砂を手作業で埋めていった。
宿の敷地の整備はすべて手作業。広大な土地ゆえ、草刈りなどの管理だけでも女手一つでは大変な作業だ。道なき道を切り拓いてきた、まさに現代の開拓者。
「一番、父親に似ていたのが私なんです。きっと、父の血が流れているんですね」
宿泊業を始めたのは、当時の観光協会の会長から「塚原には泊まれる場所が少ないので、宿をやれば何とかやっていけるのではないか」とアドバイスをもらったこと。奇しくも父から土地を譲り受ける話が来たタイミングと同じだった。「これはまさに神様の思し召し!」とひらめき、宿の運営に乗り出した。
貸別荘タイプの宿は、メゾネット式のコテージ2棟と、高級感を打ち出した古民家風のコテージ1棟。1年前から始めたカフェは娘さんが中心になって切り盛りする。宿泊客は、ほぼネット予約を通じて。日本人や韓国からの観光客が圧倒的に多い湯布院で、台湾や香港からの観光客が多い。
「昔ほどではなくても、『九州の北海道』と呼ばれるだけあって雪も降ります。でも何より、ここからの開放感あふれる景色は格別。存分に満喫してほしいですね」
両親とご先祖の「血」を受け継ぎ、故郷で根を下ろしたが「正直、自分でもよくここまで原野を開拓したものだと驚いています」と無邪気に笑う。
子どもの頃、親は農作業に忙しく、遊んでもらう時間がなく一人でままごとをして遊んでは、麦畑の中で眠った。
「子どもの頃は逃げたかったこの土地。それが今はかけがえのない、守りたい土地になっているの。年齢のせいかしら。でもここからの由布岳の眺めは最高でしょ」
2018年7月取材
執筆:高橋秀子 撮影:田村寛維