吉野町
福西正行
福西和紙本舗六代目
国栖(くず)地区は、1300年の紙漉きの歴史を持つ、日本で最も古い「和紙の里」。千年前と変わらぬ手法で作られる宇陀紙(うだがみ)は、日本の文化財の修復紙から美術・工芸・建築まで様々なジャンルで使われている。
伝統の技は続けて、伝えて、つなげなあきまへん
時は672年の壬申の乱。皇位継承を巡って起きた古代日本最大と言われる内乱で、吉野で兵を挙げた大海人皇子(のちの天武天皇)が、国栖の人に助けてもらったお礼に、紙漉きと養蚕を教えたのがその始まりとされている。そんな由緒ある国栖の里で、代々、家業である紙漉き職人としてその伝統を守り続けてきた。
福西さんの工房は吉野町国栖でも、ひときわ小高い、日当たりの良い斜面に建っている。玄関には、「芳玄漉舎(ほうげんろくしゃ)」の文字。「古くから吉野の地で和紙を漉いている家」との意味で、天武天皇ゆかりの薬師寺の高田好胤(こういん)管主が揮毫したものという。
工房にお邪魔すると、福西さんがテーブルの上に山積みになった木の繊維の塊を手でより分ける作業の真っ最中。これが和紙の原料となる楮(こうぞ)で、樹皮を蒸して皮をはぎ、白くなった繊維状の塊から、和紙に適さない傷がついた部分をよけていくのだという。これをひたすら続けること3日間。
「楮の樹皮を煮る際も、樫の木の灰を使って煮ます。本当は薬品を入れて溶かせば、簡単に白い紙が作れて作業的には楽ですが、そうすると、時間が経った時に紙が黄色く変色してしまうんです。私たちが納めているのは、日本の文化財である書画を修復するため『裏打ち』に必要な和紙。昔と同じやり方を守らないと作品を復元できないので、和紙作りも変わらぬやり方で行っています」
原料となる楮から栽培を行い、漉いた紙を乾かす「天日干し」を続けているのも、今では珍しくなった。これだけの作業量、そして国宝の修復紙にも使われる、という重責を福西さん含め、ご家族たった3人で、ほぼ家内制工業で行うというから驚きだ。
古来よりこの地で漉かれる紙は、「国栖の紙」と呼ばれていたが、江戸時代になって、近隣の大和宇陀町の商人が紙を売り歩いたことから「宇陀紙」の名がついた。その特徴は、強度と保存性に優れている点。また、吉野で採れる「白土(はくど)」を加えることで、紙の伸縮がなく、虫がつかない紙になる。そのため、書画を裏側から補強する「裏打ち紙」として、重宝されてきた。
千年前と変わらぬ手法で一枚一枚作られる「宇陀紙」は、国内の国立博物館をはじめ、アメリカのスミソニアン博物館、イギリスの大英博物館など、海外の名だたる博物館が所蔵する日本文化財の修復にも使われている。文化庁が定める「表具用手漉き和紙製作」の選定保存技術保持者という肩書を持つ福西さんは、修復を陰ながら支える「職人」として世界中の博物館を飛び回っては、行く先々で技術者として表立って話す機会も増えている。次に控えているポーランドのクラクフにある日本美術技術博物館では紙漉きのワークショップを行う予定。海外の美術館では、修復室に入るという貴重な経験もした。
「修復の現場を見るという、普通はできないような経験もこの仕事のおかげでさせてもらえる。有難いことです」
日本の文化財をはじめ、皇室ゆかりの神社、宮内庁書陵部(皇室関係の書類や文書を扱う部局)など、福西さんがかかわるのは、一般では触れることのできない特別な世界。「代々の家業とはいえ、本当に有難いことです。『正直にものづくりをしないとあかん』というのが、父である先代の教えでした」。工房内の壁には、「伝統の技は続けて、伝えて、つなげなあきまへん」という先代の言葉が書かれたポスターが飾られている。「本当にこの言葉の通りです。これからも、実直な仕事をしていかなくてはと思っています」
大学を卒業後、家業に入り先代のもと弟子入りした。「すべては自分の手の感覚を頼りに、見て覚えろというタイプ。特別に教えてくれることはありませんでした。厳しかったですよ。私もつい自分の我が出てしまうので、生前はよく衝突しました。亡くなる前ですね、いろいろな場所に連れていけて、ようやく親孝行らしいことができたのは」と振り返る。
先代は、ただひたすら紙を漉くだけでなく、様々な機会に外へ出かけていき、宇陀紙のPRにも尽力してきた。その姿勢は福西さんも受け継いでいる。町内の卒業証書作りの指導、首都圏の百貨店での紙漉きのワークショップなども積極的に行い、宇陀紙の魅力を広く、たくさんの人に伝えている。
この先、技術を継いでいく後継者育成も気になるところ。福西さんには娘さんが二人。お一人は学芸員で宅建資格を保有、もうお一人は看護師とのこと。お二人とも現在は、会社勤めをしているが、休日には家業を手伝っているそうだ。
字を書く機会が減り、日本人にとって馴染みが薄くなりつつある和紙だが、障子や家の内装に使うなど、建築界からのニーズは増えている。プリツカー賞を受賞した建築家を擁するスペインの建築家集団 RCRアーキテクツが宇陀紙を使ったアート作品を発表するなど、新しい使い方も注目されている。
「私は和紙という素材を作るだけ。アーティストの方々が宇陀紙に興味を持って、その魅力を引き出し、広めてくれるのは本当に嬉しい限りです」
かつては木簡に残されていた文字。それが、和紙へ取って代わり、今また新しい時代を迎えている。「日本の古き良き和紙が、これからも、日本の大切なものを残していく役割を担っていけたら」
宇陀紙がつなぐ職人と作家の「ご縁」がつながる。伝統の技は、これまで作品の「裏側」を支えていた役割から「表舞台」での仕事へもとアップデイトしているようだ。
2019年4月取材
執筆:高橋秀子 撮影:田村寛維